2009-03-22

右と左

私は真ん中にいる。娘は右で 夫は左。
娘は完全に右の窓の方を向いている。
私からは、彼女が外の景色を見てるのか、それとも目をつぶっているのかもわからない。
私が外に見えたものを指さして、それについて話を始める。
「ほら、見てみて!あそこにあるのはね・・・」
私が話し出すのとほとんど同時に、
「しずかにしてくんない?うるさいんだよ。やめてよ!」
という言葉が返ってくる。遮るのが目的は有効に効果を発し、私はすぐに口をつぐむ。
夫にもタクシーの運転手にも、何を言っているのかはわからない。私と娘の言葉は日本語なのだから。それでも、言葉の周りにひっついたモヤモヤとした空気が、何やら毒気のある匂いを放ち、言葉の奥に潜む感情を勘ぐらせてしまう。
「ダイジョーブ?」
夫がノースリーブから出た私の左腕をさすりながら聞く。
「うん・・・」
私は自分が持つ言葉の中で最も短いものを選んで即答する。そして、悪いと思いながら主人に愛想のない態度を取り、無機質の自分を装う。眼はまっすぐとタクシーのフロントグラスを見つめ、右も左も向かないように努める。娘は右の窓の方にしっかりと上体を向けているのだから、私のことなど見ているわけはない。それでも、私は気を使っている。娘の心の中は、半分は宙に浮いているとしても、残りの半分は私の方を向いている気がしてならない。娘は、見て見ぬふりをして私を監視している。盗むような眼をして睨んでいる。そして私と眼が合うと、さっとまるで何も知らないような振りをして無視するか、蔑むような形相になる。娘は私に向けて何も訴えてはいない。ただ、感じたままを表現しているだけだ。
夫が静寂を持て余したように、私の腕をまたさすり出す。その手は、私のジーンズを穿いた太ももにも移動する。それは無言の行動だとしても、そこには微かな音がして、私はその音に卒倒しそうになる程動揺する。そして、その音を消すために時折小さく咳払いをして姿勢を正す。娘は相変わらず右の窓の外を見るように座っている。
「やめて」と夫には言えない。それは夫にとって日常茶飯事の行動であり、私といる時はいつでもやっていることなのだから、それを突然今日に限って「やめてと言ったところで、その理屈をそう簡単に理解できるはずはない。「やめて」は、私に拒否されたというひとつの証拠として夫に強烈に焼印され、おびただしい誤解と妄想で空回りを始める。そして、このタクシーの中には、またもう一つの余計で面倒くさいモヤモヤした黒雲が湧き始める。
私には、ここで、右と左のどちらにもわかるような理屈を徹した講義を始める元気は全く持ちあわせていない。そんなことを考えただけで、1年分の疲れが押し寄せてくる。
私は、右と左に対して同時に心を耳ダンボにしながら、誰にも聞こえないように「あーあ」と溜まったドロドロを自分の中に吐き出す。ほんの30分のタクシーが、居心地の悪い永遠になる。









0 件のコメント: