2007-04-25

海を越えて今更 1


 窓をできるだけ大きく開ける。なるべく外と一体感が得られるようにとの思いからだ。競い合うように聞こえてくる鳥たちのさえずり。ここでは、人の声がほとんど聞こえない。代わりに鳥たちのおしゃべりが喧しいほど聞こえてくる。初めてここに来た頃、庭にやって来る赤いカーディナルや青いブルージェイを見て、どこかの家から逃げ出した飼い鳥かと疑った。それでも、その数からは飼い鳥のエスケープとは言えないとうっすら感じてはいた。鳥たちは、餌とメスを巡って終わりのない追いかけっこを繰り返し、止めどない種類の鳥たちが庭を訪れる。

 東京にいた頃、日常、表で出会う鳥は、スズメや鳩のようにあまりパッとしない色をしていたか、カラスのドギツイ黒い色、と相場が決まっていた。カラフルな黄色い鳥でも見ようものなら、「ああ、どこかの家のインコが逃げ出したな」と持ち主を想像して哀れんだものだ。ところが、ここで見かける鳥は、まるで動物園の鳥舎から抜け出したかのような目立つ美しい色をしているものが多い。そして鳴き声も姿に然も似たりである。ここは、森。東京の都会から見たら森だ。市街化された町の立派な住宅地だというのに、窓から見えるものは、様々な緑を湛えた木々が気まぐれな風に揺れる風景。


 そんな空間を白い窓枠からぼんやり眺めていたら、携帯電話が鳴った。突然現実に引き戻される。
「ハーイ、マイダーリン!大丈夫?」
夫のイーサンの声。正午前に必ずかかってくるお決まりの電話だ。電話を入れてね、と私が頼んだのなら忠実でいい夫ということになる。が、私はいつもつまらなそうな声で返し、特に変わりはない、と言ってできるだけ早く切る。自分ひとりのこの空間、この時間を邪魔されたくない。

 しかし、今日はすぐには切れなかった。
「今日の子供たちのピックアップの予定は・・・僕がサムをサッカーに連れて行くんでいいだね?」
「まだ、ハッキリしないわ。サムの野球の練習が終ったら私がまずピックアップするでしょ。そのあと、私があなたにすぐ電話するから、それまで待っていてくれないかしら?」
「それじゃ、僕の仕事の予定が立たない。今から何時間を仕事に当てられるかで今日の予定が変わってくるんだ。今、どうするかキチンと決めてくれよ。」
キチンと決めてくれと言われても、私の方こそ、毎日子供たちのその場その場の予定に振り回されて、計画通りになんて物事を進めることができない。夫の息子であるサムは中学2年生。放課後、学校で野球のクラブ活動をした後、夕方6時から地域のサッカークラブへ週2回通っている。

 2週間前もそうだった。野球の練習を終えるサムを車で待っていても、時間通りには終らない。20分待たされ、乗り込んできたサムは、
「ねえ、デイヴのママがサッカーの練習のとこまで乗せていってくれるって言ってるんだけど・・・それでもいいかな?」
だったら、私がサムを迎えに来なくてもよかったんじゃないの、最初からデイブと一緒に行けばよかったんじゃないの、と少し膨れっ面になりかけた寸前ピエロに変わる。
「え?そうなの?ああ、じゃあ、それでも別にいいわよ・・・」
突如にこやかに物わかりのいいステップマムを演じる私に、
「オッケー!じゃ、そうするね。今から僕をママのとこまで送ってって。そしたら、デイブのママが後でそこに迎えに来てくれることになってる」
サムはよかったー、と言わんばかりに顔を輝かせる。
予定変更か。今から何をするかを瞬時に頭のコンピューターに入力し直しだ。
‘サムヲ オットノ エックスワイフノ アパートメントマデ ノセテイク’

 サッカーの練習があるのは、サムの学校から車で10分くらいのところにある公共公園横のサッカーフィールドだ。ただ、野球を終えてからサッカーが始まるまでに1時間あり、早めにサッカーに連れて行って子供だけをそこに置いて行くのはあまり安全ではない。1時間どこで時間を潰すかまだ決めていなかったから、まあそれがなくなっただけよかったと思えばいい、そう自分に言い聞かせた。助手席で、娘のマリーが、ふて腐れた格好で寝た振りをしているのを横目で見ながら、「そういちいち腹を立てていたら身が持たないわね」と胸の中で呟いた。

 アメリカの子供たちは、自分達だけで学校に行ったり習い事に行ったりはできない。公共の交通網が整っていないし、公共バスがあったとしても子供ひとりで乗るのは安全とは言えない。それに、歩くにはすべてが遠すぎて、徒歩での移動ということはまず考えられない。学校はスクールバスを使うか、親が車で送り迎えする。大抵の母親にとって、子供の送り迎えは、当然一番重要な仕事となる。それも、3人の子供が別々の離れた学校に通い、別々の習い事をしているとなると、その仕事は、まさにハードなタクシードライバー的業務となる。そう、私がやっているみたいに。

 予定変更はいつも子供たちからと相場が決まっている。私の都合で突然変更したりはしない。今日だって、サムをピックアップしたあとにイーサンに電話を入れ、その時点で予定を決めようと言ったのは、前例があるからだ。親が作った予定をそのまま実行に移せるかなんて、ティーンエージャーの気まぐれにかかったら「知るわけないじゃん」だ。実際、その時になってみないとわからないことだってある。そう、前回と同じような可能性も充分あり得る。親もそれを学習しなければならない。「別に好き好んで、あなたの予定を立てられないように工夫してるわけなんかじゃないのに・・・」と思いながら、
「イーサン、サムがなんて言うかわからないもの。またデイヴのママが送ってくれるから、とか言い出だすかもしれない。あなたの仕事の予定が立たないのなら・・・、いいわ、どっちにしろあなたにサムをサッカーに連れて行くのをお願いしないから。そしたら、仕事だってもっとできるでしょ」
「そうじゃない。僕はもっと仕事の時間がほしいなんて言ってない。どうするか、キチンとした予定を知りたいって言っているだけだ」
「だ・か・ら、今まだわからないって言ってるの」
「なぜ決められないんだ。君はなんでも曖昧なのが好きなんだな!それが日本式っていうものか!」
「曖昧なのが好きだなんて言ってないわ。サムに聞かないとわからないって言ってるの!朝、出かける前に決めておかなかったのがいけないんじゃない!」
「ああ、明日はそうしよう。朝、ピックアップのスケジュールを確認するよ」
「明日は、じゃないわ。明日から毎日よ!」

 予定をきちんと立てて計画通りに物事を進めていくタイプのイーサン。すべてにおいてオーガナイズされていないと落ち着かない。彼はそうやって生きてきたのだ。40数年間の間、ずうっとずうっと。なんて立派な人生。それに引き換え、私に張られているレッテルが「ディスオーガナイズドウーマン」というのだから、どうやってこの二人が上手くやってなんていけるのか。時々絶望的になる。私は、「人生なるようになるさ・・・明日は明日の風が吹く」なんて気楽に生きてきたのだから、それを突然変えろと言われても、そう簡単には無理だ。それに、変えようとなんて実は思ってもいない。それは、イーサンも同じだろう。だから、こうやって、些細な言い争いが、時折、凪を揺らす。揺らす程度ならまだいいか。時化にでもなったら・・・?その時はその時で考えればいいか。