2007-11-17

天国



夜バスルームの電気を消して
ロウソクをたくさん灯して
暖かい湯船に足をすべり入れる

窓から見る外は真っ暗で
月も星も何も見えない
木々の陰がサワサワ動いてる

水面にはロウソクの炎が映って
生きてるみたいに呼吸をして
震えながらユラユラと漂ってる

私の体はふっくら暖かくなり
腕を伸ばし足を伸ばして
ロウソクの影と波間に身を委ねる

静かな光の空間は時間を止める
暖かい蒸気を立ち込めて
ああ すべてに解放されて行く

すべては遠ざかり すべては過去
私はもう人間たちの世から遠くにいて
行くのだ 何も心配のない平穏という世界に

なんて静かで暖かく平穏なのだろう
苦しみもなく 痛みもなく 解放され
だゆっくりと任せていればいいだけ

下の世界では娘も息子も母もみんな
困ったり悩んだりして 毎日は続いてる
それは 私にはもう見えない遥か遠くの世界

もう心配しなくてもいい 終わったのだ
大丈夫 みんなしっかりやっていけるから
もういいんだから 任せて大丈夫なんだから

私はいま天国に行くのだろう
泣いて怒って叫んでいた娘が ほら
見なくたって 満面の笑顔で走っているのがわかる

天国はこんなところなんだろう
額から流れる汗と涙が一緒っくたになり
湯船につつっと溶けてロウソクの影と揺れる

愛した人も 気まずくなった友人も
そのまま消えない 人の世は永遠に続く
自分もかつて あそこの一部だったんだ







2007-10-02

白昼夢


ああなんと馬鹿げている
大丈夫だと思っていたのに、どこかの陰に隠れていて
ふとした拍子に現れた
いたたまれなくなって、声をあげて咽(むせ)ぶ

仕組まれたトラップを踏んだのか
たぐり寄せれば寄せるほど、嵌って落ちていく罠
大丈夫な振りをしてただけ
本当はこんなに泣きたい自分を我慢してたんだ

自分で作り出した白昼夢
日本の財布がないことに気づき、パニックになった
心臓がドキドキ苦しくなる
急いでカード会社に国際電話をして調べる

ああ誰も使っていなかった
ホンのつかの間の安堵は、次のステップへの不安
じゃあどこだ、どこにあるんだ
庭の芝生を刈っている音は確か昨日聞こえたはずだ

馬鹿らしい、また盗難だなんて
鍵は全て変えたんだから、そんな訳はない
ミステリー映画の見過ぎ
息が苦しくなって、誰かの気配を感じ殺気立つ

猫だ、ミャーという声がする
誰も入れるはずはないんだから、もっと気を確かに
あの引き出し、まだ見てない
そうだ、あそこかもしれない・・・急げ、走れ

あった!ああ・・・よかった
ひとりで家中を走り回り、たどり着いた引き出しの前
財布の中身をとりあえず確認
すべてもとのままだ、心配することはない

財布の奥に誰かがいる
娘の写真が、どうしてこんな時に私に微笑んでる
髪をなびかせ、こっちを向いて
輝く笑顔で、私に眩しすぎる光となってそこにいる

声をあげて泣いた
美しすぎる娘を見て、堪らなくなって泣いた
届かない光がここにある
どんなに手を伸ばしても、ここにあるのは幻影

平静な振りをして
超越した物わかりのいい大人になったつもりだったのに
こんな落とし穴で我に帰る
私の命よりも大事なのものが・・・私にはある

二枚入ってた同じ写真
一枚をいつも持って歩くキーホールダーに入れた
ママは毎日これを持ってるからね
どこにいても、いつもあなたと一緒だから・・・

からだ中の力が抜ける
山になったティッシュをゴミ箱に捨てながら
寝息を立てている娘を想う
あなたを愛している。世の中の誰よりも。誰が何と言おうと。






2007-09-21

小雨の夜長

いつの間にか夜になっていて、雨が降り出していたことさえ気が付かなかった。
静かにしとしとと外の世界は濡れていだんだ。
そういえば、トントントン…という規則正しい音が聞こえていた。
屋根から落ちる雨だれの音だったのだ、と今頃思う。
朝出した猫を家の中に入れようと思って玄関のドアを開けたのだけど、いくら呼んでも返事をしない。ふとこの暗い雨の中のどこかでさまよっている猫を思い、自分の姿を重ねた。
今夜は静かに過ぎていく。

まるで世の中から忘れられたような空間がここにある。

2007-08-24

Feint その後

 5月にうちで盗みを働いた近所のパットが、バックヤードの芝を刈っている。芝刈り機のグイーンという音が響き渡り、彼の仕事ぶりは見なくてもわかる。彼は、定期的にやってきて、家の前と後ろの庭の芝をきれいに刈り込む。彼の仕事に、見返りの報酬はない。

 パットの犯した罪に対して、どんな罰を与えるかは私たちに任せられていた。裁判に訴えて彼を前科モノにすることもできた。そうすれば、彼は数週間後に控えた高校卒業ができなくなる恐れがあったし、一生、前科モノというレッテルが付いて回ることになった。パットの両親も、パットもそれだけは勘弁して欲しいと思っていたのを知っていて、私たちは裁判に訴えるのをやめた。その代わりにどんなことをしたらいいのか考えた挙句、パットに反省文を書かせ持参させ、これからも今まで通りにうちの庭の芝を刈ってもらうことにした。それも無償でだ。

 うちの庭の芝は、芝というよりもほとんどが雑草で、他の家に比べたら何ともお粗末なものだ。それでも色は緑だし、短くカットすれば、パッと見には芝生とそう変わらない。このネイバーで、こんな芝生をしているのは、うちくらいなものだろう。どの家も見事に手入れされた芝を競い合っている。パットは、今、そんな雑草ばかりのフェイクなうちの芝を刈りに来ている。

 彼は、6月に高校を卒業し、この8月に近くのコミュニティーカレッジに入学した。そこで、勉強しながら4年生大学への編入を狙う。それと同時に、市がやっている麻薬薬物からの依存を断ち切るためのコースももう受けている最中のはずだ。
 パットがお金を盗んだのは、自分の「ヤク」を手に入れるためだったらしい。数年前、何か事故で首に怪我をし、その時病院で麻酔作用のある薬を使われたが、それは依存性があるもので、それ以来その薬に依存してしまったというのだ。なんで病院がそんな薬を使ったのか、私は病院の治療に疑問を持ったが、聞くところによるとそれを治療に使うのは一般的なもので、もっと依存度の強い薬もあるそうだ。ただ、パットはそれをきっかけにその薬に興味を示し、それからというもの、手に入れるために必死だったらしい。それを彼の両親は知らずにいて、この盗みが暴露して初めて自分の息子が薬物依存であることも知った。彼らにとっては二重のショックであったに違いない。

 和紙の封筒とお年玉は、あの事件の数週間後に警察を通して戻ってきた。それまでの間は、私たちが裁判に訴えるかもしれないことを想定して、警察が現物証拠として保管していた。しかし訴えないことになったので、そのまま封筒とお金は戻ってきた。娘のマリーの元に。封筒は少し毛羽立っていたが、中身の現金は間違いなく1万円札と千円札が数枚ずつでそのままだった。
 その封筒は今は日本だ。戻ってきたお年玉はマリーの大事なへそくりの一部と化して、新しい部屋の新しい引き出しにしまってあることだろう。
 

2007-07-26

ぽっかりと空いた穴

 去年の夏、このコテージに初めて来た。
ニューイングランド地方の東海岸に突き出た避暑地で有名な半島。
そこにポツンポツンと点在するこの地方独特の切妻屋根のコテージ群。 夏は仕事の関係で毎年ここで過ごすという主人について、車を二日間も走らせここに着いたのは真夜中だった。 海まで歩いてたった5分なのに、
森の中にいる錯覚に陥らせるほど鬱蒼と茂った木々。その中に隠れるように建つこのコテージの中で、私はそっと去年の夏を思い出している。

 一階にはキッチンとリビング、そしてふたつのベッドルームがあり、屋根裏にもひとつベッドルームがある。一階の私がいるマスターベッドルームの壁ひとつ隔てた隣は、女の子たちのベッドルームとして夜遅くまでキャーキャーいう声が絶えなかった。その部屋にふたつあるベッドのひとつを、今年は誰も使っていない。去年、その周りを極めるほど散らかし放題にし、カラフルな夏の洋服で埋もれていたベッド。明るく笑い出したら止まらない娘の性格がそのまま乗り移ったかのような賑やかなその姿は、今は見当たらない。今年はただのシンプルな安いマットレスが置かれているだけだ。まるで入院患者がいなくなった病院のベッドのように、そこだけ機械的なベッドというオブジェが、若草色のマットレスと共になんの感情も持たずに放置されている。そして私も、このコテージに同じような立場で放置されている。

 目をやると、窓の横に立てかけたままの大きなスケッチブックが同じように放置されている。今年は開いてもいないが、最初のページに何が描かれているか、私は知っている。砂浜と海。打ち寄せる波に弄ばれる一双のボート。その波の色使いに目を奪われたのは、つい昨日のようだ。しかし、まだ完成されていないその絵が、いつか仕上がるのかどうか、私は知らない。明日という日が、予測できないものであることを知って、私は何かを期待することが怖くなった。誰にも使われないままのパステルの箱、色鉛筆の箱、油絵の具の箱。一緒に荷造りをして、あの絵の完成を楽しみにしていた自分が悲しい。

 足を入れたら凍ってしまうほど冷たい青く透き通る海の水も、潮の匂いのする風に大きくなびくソルト・マーシュの眩しい緑の草原も、停電になった小屋を叩き割るのではないかと思わせる雷雨の響きも、真っ赤な夕日が水平線に大きく沈むのを見ながら釣った大漁のタイも・・・キリがないほどここで味わうものの何もかもが、すべて何の変哲もない意味のないものに成り変る。それがより感動を呼び起こすものであればある程、私の元ではそれがまったく無意味なものとして、跡形もなく砂の城となって崩れ去る。それを共感する者を持たずして、なんの感動があるものか。


 「ねえ見て、きれいねえ!」「なんてすごいんでしょうねえ!」!と話しかけたくてたまらない。
しかし、話しかけたところで、そんな言葉は宙を舞って風に消えていく。声にするずっと前に波の音に消されている。娘のマリーは、ここにはいない。どんなに大声で叫んでも届くことのない地球の反対側で、マリーは私を避けるように寝入っているに違いない。

 ここで主人と主人の二人の子供たちに囲まれていても、足りない。私に最も必要な人間が欠けている。感動に出会うたびに、そしてここでじっとして、隣の部屋との壁を見るたびに苦しくなる。私が自分の血と肉を分け、私のすべての経験と智恵を分けて与えたかった娘はここにいない。自らの意思でここに来なかった。「ここ」に来なかっただけではなく、これからの生活のすべてにおいて、彼女は私から離れて生きていくことを選択した。中学2年生の身で・・・。親から離れて生きていくと、彼女は決めたのだ。





2007-07-22

いつ ひっくり返ってもおかしくない ヤジロベエ

何のためにバランスを取ろうとしているのか
そんなことさえ忘れてしまった
あっちを立てれば こっちが立たず
こっちを立てれば あっちが立たず
時に大きく揺れ ぐるぐる回りだす
ああっ と思う間もなく
自分がどっちを向いているのかわからなくなる
その揺れに身を任せ 
どうにか止まるのを待つ
待つ?
いや 待ってなんかいない
なす術を失い途方に暮れているうちに
なんとかひっくり返らず
どうにかこうにか
身を持たせている自分を発見するだけのことだ


2007-05-26

ふたりでもひとりぼっちの部屋

それをズルイ人と言う人もいれば
それを可哀想な人と言う人もいる
それは馬鹿げた価値観でしかないのかもしれない

なのにそれでも固執しているのは何故?
負けず嫌いな性格のせい?
また一人になるのが怖いから?

がんばってやれるなんていつも自分を騙して
意地はってギリギリのところまで持ってきて
どうするかわからなくなるまで道に迷って

どっちに転んでも大丈夫だという変な小さな自信の中に
もっと小さく隠れたうまくいきますようにという思い
砂のように見えなくなりそうな希望が揺れている

違うんだってうすうす感じていても
本物なんてどこにもないって知ってるからしがみ付いて
形だけの蜃気楼はふたりでもひとりぼっちの部屋


2007-05-21

Feint

たまたま主人のイーサンが電話に出たが、少し長い電話だったから、いったい何の電話なのか気になって聞き耳を立てていた。実は、また昔のガールフレンドからの電話だったら、ちょっと怒ってやろうというつもりだった。
「妻に聞いてみますが・・・」という言葉が何度も出ていたので、私に関わりのあることだと思ったが、相手はどうやら昔のガールフレンドではないようだ。
電話が終わり、イーサンは少し神妙な顔をして私に尋ねた。
「ねえ、日本円をたくさん持ってた?」
私は、いったい急に何の質問かと思った。唐突に聞かれても、そんな質問の答えはいつも用意してる類のものじゃない。日本円はそれなりには持っているが、それは緊急の時用マネーでイーサンには内緒だった。誰にも見つからないところに置いてあるし、もちろんイーサンには絶対に知らせたくなかったから、
「え・・・持ってないわよ。ど、どうして?」
と少しシドロモドロに言った。
「もちろん僕も現金なんてものはさ、ドルも円も、いつでもほとんど持っていないから、君が持ってたのかなと思ってね。今、ニコルソンさんから電話で、息子のパット、ほら、いつもうちの芝を刈ってくれたり、犬の世話をしてくれてるパットだよ、彼が学校で日本のお金を売りさばいて捕まったらしい。そのお金は、うちから盗んだらしいんだよ。それも10万円以上だっていうから、もしかしたら君のお金かと思って。」
私は、すぐには何のことか飲み込めなかった。ゆっくりと夫の言葉を反芻しながら、事の事実を大まかにつかみ、ああ事件が起きたのだと思った。でも、パットがまさか私のお金を?そんなわけはない。とっさに 、
「そうだわ、マリーなら、日本円を持ってたと思うわ。確か・・・お年玉とか、そういうの、日本からこっちに来るとき、おばあちゃんとか、お父さんとかからもらってたみたいだから。」
と焦って言った。もしも、私のお金だったらどうやって辻褄を合わせようかと考えながら。
「そうか、じゃあ聞いてみたほうがいいね。」
「今、聞いて来るわ。」
と言いながら、私はマリーの部屋へ行った。
マリーは、朝から調子が悪いと言って、金曜なのに学校へ行かずベッドでゴロゴロしていた。
「ねえ、マリー、あなた日本円持ってたわよねえ?日本から持ってきてるでしょう?パパからもらったりしたやつ。どこにあるかしら。それ、ちゃんとあるか調べてくれる?」
「なあに。あるよぉ・・・でも何でぇ?」
不意に何でそんなことを聞くのか理解できないらしいかったけれど、マリーはゆっくりと起き上がると、自分ののクロゼットのチェストから和紙でできたお年玉用のピンクの封筒を取り出した。
「はい、これ。・・・あれっ?何も入ってないよ!」
マリーが大事にしていたお年玉のお金は見事になくなっていた。マリーのお金だったんだ・・・と、私は少しホッとして、空の封筒をマリーの手から取り、イーサンの所に持って行った。
「見て!空っぽになってるわ!」


2007-05-20

あきらめないで

後から引き下がれないこともある。
間違いだったと決めてしまう前に、このままでも何とか上手くいく方法をみつけなければならないこともある。
決断をするには、それに対しての責任も充分に含まれていて、決断した以上はうまく行くように最大限の智恵と努力は必要なのだ。
困難にぶつかったからといって、取り消しばかりをしていたら、いつまでたっても取り消しキーを押し続けるだけの人生になってしまう。
すべてが思う通りの条件が整った状態なんてのはあり得ない。
これでもか、これでもか、と押し寄せてくる困難に・・・降参の白旗をあげたくなるスレスレにいて、でも負けたらいけないと思う。
八方塞がりに見える状況で、じっと瞑想して、心を落ち着かせて考えてみよう。
感情的になるだけでは、解決などできないのだから。
逃げてばかりでは、永遠に迷路からは出られないのだから。
が・ん・ば・れ!
きっとやれるさ。
きっと上手くいくさ。


2007-04-25

海を越えて今更 1


 窓をできるだけ大きく開ける。なるべく外と一体感が得られるようにとの思いからだ。競い合うように聞こえてくる鳥たちのさえずり。ここでは、人の声がほとんど聞こえない。代わりに鳥たちのおしゃべりが喧しいほど聞こえてくる。初めてここに来た頃、庭にやって来る赤いカーディナルや青いブルージェイを見て、どこかの家から逃げ出した飼い鳥かと疑った。それでも、その数からは飼い鳥のエスケープとは言えないとうっすら感じてはいた。鳥たちは、餌とメスを巡って終わりのない追いかけっこを繰り返し、止めどない種類の鳥たちが庭を訪れる。

 東京にいた頃、日常、表で出会う鳥は、スズメや鳩のようにあまりパッとしない色をしていたか、カラスのドギツイ黒い色、と相場が決まっていた。カラフルな黄色い鳥でも見ようものなら、「ああ、どこかの家のインコが逃げ出したな」と持ち主を想像して哀れんだものだ。ところが、ここで見かける鳥は、まるで動物園の鳥舎から抜け出したかのような目立つ美しい色をしているものが多い。そして鳴き声も姿に然も似たりである。ここは、森。東京の都会から見たら森だ。市街化された町の立派な住宅地だというのに、窓から見えるものは、様々な緑を湛えた木々が気まぐれな風に揺れる風景。


 そんな空間を白い窓枠からぼんやり眺めていたら、携帯電話が鳴った。突然現実に引き戻される。
「ハーイ、マイダーリン!大丈夫?」
夫のイーサンの声。正午前に必ずかかってくるお決まりの電話だ。電話を入れてね、と私が頼んだのなら忠実でいい夫ということになる。が、私はいつもつまらなそうな声で返し、特に変わりはない、と言ってできるだけ早く切る。自分ひとりのこの空間、この時間を邪魔されたくない。

 しかし、今日はすぐには切れなかった。
「今日の子供たちのピックアップの予定は・・・僕がサムをサッカーに連れて行くんでいいだね?」
「まだ、ハッキリしないわ。サムの野球の練習が終ったら私がまずピックアップするでしょ。そのあと、私があなたにすぐ電話するから、それまで待っていてくれないかしら?」
「それじゃ、僕の仕事の予定が立たない。今から何時間を仕事に当てられるかで今日の予定が変わってくるんだ。今、どうするかキチンと決めてくれよ。」
キチンと決めてくれと言われても、私の方こそ、毎日子供たちのその場その場の予定に振り回されて、計画通りになんて物事を進めることができない。夫の息子であるサムは中学2年生。放課後、学校で野球のクラブ活動をした後、夕方6時から地域のサッカークラブへ週2回通っている。

 2週間前もそうだった。野球の練習を終えるサムを車で待っていても、時間通りには終らない。20分待たされ、乗り込んできたサムは、
「ねえ、デイヴのママがサッカーの練習のとこまで乗せていってくれるって言ってるんだけど・・・それでもいいかな?」
だったら、私がサムを迎えに来なくてもよかったんじゃないの、最初からデイブと一緒に行けばよかったんじゃないの、と少し膨れっ面になりかけた寸前ピエロに変わる。
「え?そうなの?ああ、じゃあ、それでも別にいいわよ・・・」
突如にこやかに物わかりのいいステップマムを演じる私に、
「オッケー!じゃ、そうするね。今から僕をママのとこまで送ってって。そしたら、デイブのママが後でそこに迎えに来てくれることになってる」
サムはよかったー、と言わんばかりに顔を輝かせる。
予定変更か。今から何をするかを瞬時に頭のコンピューターに入力し直しだ。
‘サムヲ オットノ エックスワイフノ アパートメントマデ ノセテイク’

 サッカーの練習があるのは、サムの学校から車で10分くらいのところにある公共公園横のサッカーフィールドだ。ただ、野球を終えてからサッカーが始まるまでに1時間あり、早めにサッカーに連れて行って子供だけをそこに置いて行くのはあまり安全ではない。1時間どこで時間を潰すかまだ決めていなかったから、まあそれがなくなっただけよかったと思えばいい、そう自分に言い聞かせた。助手席で、娘のマリーが、ふて腐れた格好で寝た振りをしているのを横目で見ながら、「そういちいち腹を立てていたら身が持たないわね」と胸の中で呟いた。

 アメリカの子供たちは、自分達だけで学校に行ったり習い事に行ったりはできない。公共の交通網が整っていないし、公共バスがあったとしても子供ひとりで乗るのは安全とは言えない。それに、歩くにはすべてが遠すぎて、徒歩での移動ということはまず考えられない。学校はスクールバスを使うか、親が車で送り迎えする。大抵の母親にとって、子供の送り迎えは、当然一番重要な仕事となる。それも、3人の子供が別々の離れた学校に通い、別々の習い事をしているとなると、その仕事は、まさにハードなタクシードライバー的業務となる。そう、私がやっているみたいに。

 予定変更はいつも子供たちからと相場が決まっている。私の都合で突然変更したりはしない。今日だって、サムをピックアップしたあとにイーサンに電話を入れ、その時点で予定を決めようと言ったのは、前例があるからだ。親が作った予定をそのまま実行に移せるかなんて、ティーンエージャーの気まぐれにかかったら「知るわけないじゃん」だ。実際、その時になってみないとわからないことだってある。そう、前回と同じような可能性も充分あり得る。親もそれを学習しなければならない。「別に好き好んで、あなたの予定を立てられないように工夫してるわけなんかじゃないのに・・・」と思いながら、
「イーサン、サムがなんて言うかわからないもの。またデイヴのママが送ってくれるから、とか言い出だすかもしれない。あなたの仕事の予定が立たないのなら・・・、いいわ、どっちにしろあなたにサムをサッカーに連れて行くのをお願いしないから。そしたら、仕事だってもっとできるでしょ」
「そうじゃない。僕はもっと仕事の時間がほしいなんて言ってない。どうするか、キチンとした予定を知りたいって言っているだけだ」
「だ・か・ら、今まだわからないって言ってるの」
「なぜ決められないんだ。君はなんでも曖昧なのが好きなんだな!それが日本式っていうものか!」
「曖昧なのが好きだなんて言ってないわ。サムに聞かないとわからないって言ってるの!朝、出かける前に決めておかなかったのがいけないんじゃない!」
「ああ、明日はそうしよう。朝、ピックアップのスケジュールを確認するよ」
「明日は、じゃないわ。明日から毎日よ!」

 予定をきちんと立てて計画通りに物事を進めていくタイプのイーサン。すべてにおいてオーガナイズされていないと落ち着かない。彼はそうやって生きてきたのだ。40数年間の間、ずうっとずうっと。なんて立派な人生。それに引き換え、私に張られているレッテルが「ディスオーガナイズドウーマン」というのだから、どうやってこの二人が上手くやってなんていけるのか。時々絶望的になる。私は、「人生なるようになるさ・・・明日は明日の風が吹く」なんて気楽に生きてきたのだから、それを突然変えろと言われても、そう簡単には無理だ。それに、変えようとなんて実は思ってもいない。それは、イーサンも同じだろう。だから、こうやって、些細な言い争いが、時折、凪を揺らす。揺らす程度ならまだいいか。時化にでもなったら・・・?その時はその時で考えればいいか。