すごく悔しい。
私がやってきた子育ては、私には誇れるものだと思っていた。私の選択で「いい」と思ったことをがんばって実行し、出来る限り一生懸命にしてきた。
息子は、立派に育っている。
大学卒業後の進路も、自分で努力して切り開き、希望のところに決まった。彼は、まるで出陣前の戦士みたいに、世の中に出ていくことを自分の勝負だと感じている。「よっしゃ、やってやるぞ。これからが本番だ。しっかりやって自分を試したい!」と希望とやる気に燃えてワクワクしている。
私は、子育ての究極の目的は、子供を社会に還元することだと思っていた。
子供時代は親と一緒に過ごし、その期間、親は子供を自分の所有物のようにかわいがったり大事にすることができるが、実はそれはつかの間の話で、いずれは子供は親の元を去り社会に羽ばたいていく。子供は、神様から一時的に自分たちの元に預かったものに過ぎないのかもしれない。だから、私は、子供が羽ばたく時に、しっかりと自分の足で立ち、自立して責任のある行動を取れるように、社会で信頼され人々の役に立ち、立派に活躍できるように、と子育てをしてきた。そして、息子は、自分の足で歩き始めようとしている。私は、息子を安心して見ていることができる。彼は、自分の力でしっかりと生きていける。どんな困難も乗り越えて、自分と自分の周りの人を幸せにしていくことができる。そんな確信がある。
息子の小さい頃、小学校時代、中学校時代、高校時代には、それぞれに葛藤があり、もがき苦しみ、立ち往生し、先が見えなくてどうしていいかわからなくなることもたくさんあった。母親ひとりで出来ることには限りがあったけれど、がんばってやってきたことが報われている気がする。
そういう意味では、私は自分のしてきた子育ての「趣旨」「方法」にそれなりに自信を持っていた。
「まったく、君の子供は自立し過ぎている。そりゃそうだろね、だって君がそういうふうにしようと意図して育ててきたんだから、その通りになってるんだよ。でも、それがいいとは思わないね。もうここまで来たら、今更直せないだろうけど。」
主人のイーサンの中にある「私のしてきた子育ては間違っている」という考え。
「マリーは、家族というものを知らないよ。家族よりも友達の方がいいと思ってるし、自分のしたいことを自分でどんどん決めてしまう。子供は親と一緒にいるべきなんだ。自分勝手にしたいことを決めるんじゃなくて、親の言うことを聞くべきなんだ。そうやって家族の中できちんと生きることが、将来きちんと家族を持って幸せに生きるために必要なんだ。マリーにそれが欠けていることがわからないのか。」
彼女の「親」とは私だ。「親の言うこと」とは、私の言うことだ。彼女にとって、主人の言うことは親の言うことににはならない。なぜなら主人は突然現れた継父に過ぎないのだから。
「確かにね。マリーが決めてることは、君が彼女にして欲しいと思ってることだよ。その通りになってるんだよ。親の言うことなんて聞かなくても、自分のしたいようにするってこと。それが君の子育てだ。君がそうやって生きてきたんだ。」
マリーも、私の子育ての「趣旨」に沿って私の「方法」で育てた。数年前まで何も迷うことなくそうしてきた。自分の意思をしっかり持ち、自分のしたいことをあくまで実行しようとする。「どうしていいかわからない・・・」とか「何もしたくない・・・」とか言うのではなく、「こうしたい!」とハッキリ言う。そう、それは、私がそうなるように意図して子育てした結果なのだろう。
でも、それは「いけないこと」になることもあり得るのだろうか。自分のしたいことと親の言うことが一致しない場合はどうなるか。自分の意思が強すぎて、親の言うことを聞けない場合はどうなるのか。
イーサンの子供たちは、親の言うことを実によく聞く。本当に高校生?と疑いたくなる。少し無謀な父親の意見に「ムッ」としながらも、結局はその通りにする。子供たちからの「嘆願」が出ても、「鶴」の一声でシュンとなる。それは、彼がそういう子育てをしてきたからだ。親の言うことは常に矛盾せず一貫していて「ダメと言ったらダメ」、親はいつも威厳を持っていて、絶対に服従が鉄則。家族で一緒に過ごす時間を大切にし、なるべく定期的に一緒に何かする時間を設ける。子供たちには「勉強、勉強!」とは言わない。うるさく言うのは寝る時間。睡眠は大事、寝不足だと何も集中できないんだと、就寝時間にだけはうるさい。子供たちはかなり成績がよく、スポーツもよく出来る。「まるで」理想のようだ。
そう・・・「まるで」ね。
何が正しいかなんてわからない。何が一番いいかなんてわからない。
「話し合いなんかじゃないよ、これは。君がこうしたい、って言ってるだけじゃない。僕の意見を聞きたいだなんて、違うよ。僕を説得しようとしてるだけだ。勝手にしたらいいよ。結局、君は自分のしたいようにするんだ。マリーにしたいようにさせるんだ。それがどういうことかもわからないで・・・。僕は、君とは違う意見だ。説得させようとするなよ。僕の意見はいつも同じ。納得はできないよ。ただ、君がそうしたいならさせてあげてもいいよ。マリーがしたいことを君がさせてやりたいなら、させればいいじゃない。君は何があろうとそうしたいんだ。ただ、僕は絶対にいいとは思わないっていうことだけ、覚えておいて。」
平行線の会話。とても後味が悪い。
「あなたとは会話が出来ないわ!話し合いにならない。」
「会話?今したじゃないか。一時間も。君のは話し合いじゃないんだ。この話はいくら話しても同じだよ。」
悔しい。すごく悔しい。
喧嘩でも喧嘩でもない話し合い。変な言い合い。だから、仲直りも何も・・・。
ああ、今日の夜は、コンサートに一緒に行く予定なのに。
ああ、悔しくって頭にくる。


2 件のコメント:
はじめまして。シュンロンです。
私のブログにご訪問ありがとうございます。
記事読ませていただきました。
私のよりもつらい環境で、自分でもどうにもならない状況でも、頑張っていらしゃりますね。
何かコメントと言っても出てきませんが、私もどうにか結婚生活を続けていこうと思ってます。
一緒に頑張りましょう。
シュンロンさん
続けることには、本当に「努力」と「忍耐」が必要なことがあります。
やめてしまったらどんなに楽なことか。
でも、やめてしまったらすべてが水の泡。何のためにがんばってきたかわからないし、それに、大事なものも一緒に失ってしまう。
自分は神さまに試されているのかなとよく思います。
シュンロンさんは若いのに、本当に偉いです。
私もしっかりしなくちゃね。
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